− 沢田組 PRAY FOR JAPAN 東北・宮城...被災地を行く −
ちあきレポート

震災から4ヶ月がたった7月11日〜13日、
沢田組は宮城県へ新幹線・バスを乗り継いで
向かいました。
宮城の仮設住宅を訪問して
何かお手伝いをしたいという想いからです。
慣れない仮設住宅での暮らしは、
思っていたより大変そうでした。
被災地の皆さんは重い口を開け、私達に震災時の話をしてくれました。
どのお話も、耳を塞ぎたくなるほど辛い内容ばかりで、話をお聞きするだけで
いっぱいいっぱいで、私達からは何も声をかけてあげることができませんでした。
ご両親を家に残したまま津波に追われ逃げてきた女性、
車ごと波に飲まれたけれど高台に流され奇跡的に助かった男性、
ご両親、ご兄弟を喪い一人遺された女性..
信じられないようなお話ばかりで、
あの震災から4ヶ月、
まだ希望の灯を見つけられない人達が、この日本に今も大勢いるということを知りました。
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石巻漁港に立ち寄りました。
ここは釣り好きの私もいつか行きたいと思っていた場所です。
東洋一と言われた漁港が大きな津波に一気に飲み込まれてしまい、
今も地盤沈下し、そこら中に船が転がり、
セリの行われていた 大きな建物も海に囲まれた状態のままで、
私が行きたいと思っていた石巻漁港とは全く違う世界になっていました。
町には120社の水産会社が並び、魚を保管する冷凍庫が沢山あって
津波で流されてきた魚と保管していた魚が町に散らばり、波が引いた後
30センチ以上のヘドロと6万トン以上の魚の屍骸を残していきました。
今でも町全体に強烈な腐臭と丸々と太った大きな蝿が大量に発生しています。
腐った魚は海洋投棄が認められ、何日もかけて作業をしたそうです。
まだ雪のふる海で全て手作業で行い、終わった頃には身体も心もボロボロで
手についた臭いを冷たい水でアカギレになりながら、
血と涙を流しながら洗ったと言っていました。
私達沢田組が被災地に生かせて貰い、見て、感じたものを
ちゃんとこれからも伝えたいと思います。